毒親

毒親と汚部屋――私の体験から学んだ「生き直す」ための道

家は本来、心と体が休まる場所であるべきです。

しかし、私の過去の家は、心を休めるどころか、日々のストレスが増す場所でした。

 

母親との関係、そしてその結果として広がる汚部屋の現実。

 

この記事では、私が経験した「毒親」と「汚部屋」について話し、それが私の生き直しにどう影響したのかをお伝えします。

 

同じような状況にいる方々にとって、この記事が少しでも役立つことを願っています。

家の中で感じる息苦しさ

私は幼い頃、両親が離婚し、母と二人暮らしを始めました。

 

それまでとは違った家庭環境に戸惑う中、気づけば自宅は「汚部屋」へと変貌を遂げていきました。

 

家中が母の私物や雑誌であふれ、どこに行っても居心地の悪い空間が広がっていました。

 

リビング、洗面所、靴箱、テーブルの上までもが、母の物で占領されていたのです。

 

生活空間が狭くなるとともに、心の余裕も失われていくのを感じました。

 

物理的なスペースだけでなく、私自身の存在も母に押しつぶされているような感覚でした。

支配される日常

母親は過干渉でした。私がトイレに行くたびに、「大か小か?」と尋ねられ、それに対して「大」と答えると「汚い」と言われました。

 

生理現象であるにも関わらず、いちいち指摘されることに大きなストレスを感じました。

 

プライバシーの概念は母にとって無いも同然でした。

 

私の部屋にノックもせずに入り、勝手にドアを開け放したまま出て行くことも日常茶飯事でした。

 

私が「ドアを閉めてほしい」と頼んでも、「うっとうしいから開けておけ」と言われるだけでした。

汚部屋と心の荒廃

母親の片づけられない性格は、私が成長しても変わることはありませんでした。

 

社会人になっても、家に帰るたびに散らかった家を見ると、絶望的な気持ちになりました。

 

私は家に帰るのが嫌で、近くの廃工場に立ち寄っては、暗闇の中でタバコを吸い、チューハイを飲みながら、できるだけ帰る時間を遅らせる日々を過ごしていました。

 

私にとって、家は「休まる場所」ではなく、「逃げ場のない監獄」のような存在になってしまっていたのです。

母の抱える問題と私の自立

振り返ると、母親自身も離婚による心の傷を引きずっていたのかもしれません。

 

しかし、私にとってはその影響が日常生活に重くのしかかり、耐えがたいものでした。

 

物が散乱し、精神的にも圧迫される日々の中で、私は「自立」という目標を掲げました。

汚部屋からの脱却と再出発

現在、私は一人暮らしを始め、少しずつ自分自身を取り戻そうとしています。

 

家が汚部屋でなくなったことで、心にもスペースが生まれました。

 

過去の辛い経験が、今の私を強くし、再出発のための力となっていることを実感しています。

 

このブログでは、私のように「毒親」と「汚部屋」に苦しんだ経験を共有し、同じ悩みを抱える方々に少しでも希望を届けられる場を作りたいと考えています。

 

困難を乗り越えるために必要なのは、まずは自分自身を大切にすること。

 

どんなに辛い状況でも、少しずつでも前に進む力があることを信じて、一歩一歩歩んでいきましょう。

結論:自分のスペースを取り戻そう

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私の経験を通して感じたことは、心と体をリセットするためには、自分の空間と時間を守ることが非常に大切だということです。

 

汚部屋や毒親からの脱却は簡単ではありませんが、それができた時、心の中にも新たな空間が生まれます。

 

このブログでは、同じような経験をしている方々に向けて、少しでも役立つ情報や体験談を共有していきます。

 

どんなに小さな一歩でも、前に進むことが大切です。

 

そして、いつか必ず、あなたも自分のスペースを取り戻すことができると信じています。

この記事を書いた人

大福
大福

大福です。40代、うつ病と自己破産経験あり。現在無職で独身、未婚。彼女いない歴20年。母と同居しながら、再出発を目指す日々をブログで綴っています。同じような困難を抱える方々に少しでも力になれたらと思います。

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