毒親

毒親と離れるために取った体験をまじえて書きます

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毒親から離れたいですよね。私は一時期、一人暮らしをして離れたことがあります。

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徒歩5分くらいの距離にアパートで一人暮らししました。毒親から離れた理由などを書いていきます。

両親が小学生時代に離婚した

小学生時代に両親が離婚しました。父親は浮気相手と再婚しました。

私は一人っ子なので、母親と二人暮らしになりました。

 

母親と二人暮らしになってから、一気に家の中が暗い雰囲気に立ち込められるようになりました。

父親、母親、私と三人暮らしの時は、明るい家庭だったのに、父親がいなくなってから、一気に雰囲気が暗くなりました。

 

気持ちも暗くなってきました。

何もかもやる気をなくしてきてしまいました。生きる気力も失いました。

 

成績も急降下しました。勉強のやる気がなくなりました。

それを心配した祖父母が家庭教師をつけてくれました。

 

しかし、家庭教師からは、「この子に何を教えても知識が頭に入らない」と母親に言って私を突き放したそうです。

また、父親がいなくなったさみしさから、壁に何度も頭をぶつけて死にたい!!と言って、ひたすら壁に頭をぶつけていました。覚えています。

 

もう、さみしくて仕方ありませんでした。

夜中のテレビゲームばかりにのめりこんでいました。

 

学校生活も成績が悪いことを理由にいじめにあっていました。

高校の進学時は成績が悪くて普通高校に行けないと言われて、専門学校を薦められました。

 

その後、専門学校で日商簿記2級の資格を取ることになりました。

毒親にお金を取られた

社会人になってから、簿記の資格を活かすべく経理事務に就職しました。

中小企業だったせいかわかりませんが、経理の資格が活かせれるような場面は、ほとんどありませんでした。

 

就職してからすぐに母親に給料振り込みの銀行口座を取り上げられました。

母親が管理するからと言われました。私は毒親の元から離れて一人暮らしがしたかったのですが、断固反対されました。

 

母親の元に私が働いて稼いだお金が振り込まれるような感じです。

給料日になったら、母親からもらっていたのは5000円だけでした。

 

たった5000円で1ヵ月、社会人生活をしろと言うのです。朝ごはんは自宅、昼ご飯は母親の手作り弁当、夕ご飯は自宅です。

社会人、正社員だったので、夜の付き合いとか、飲みに行く話が出てくるのですが、私は5000円しかないので、断ることしかできませんでした。

 

賞与が支給されても1万円だけしかもらえませんでした。どれだけ稼いでも1万円だけでした。

もう、むなしくて仕方ありませんでした。

周囲から親離れをうながされた

母親が給料振り込みされる度に、5000円とか賞与の時は1万円しかくれないことを会社の同僚や先輩に言うと、一人暮らしをするように言われたり、会社の寮に入るようにすすめてくれました。

そのことを母親に伝えると断固反対されました。

 

自宅で過ごせと。

一人暮らしをしたら、余計や出費になるし、私(母親)は、どうやって生活するの!?って言われました。

 

そもそも、母親が子どもの給料をあてにして生活していること自体おかしいと思うようになりました。

なぜ、母親のために、私が働かなくてはいけないのだと言う腹立つ気持ちが湧き出てきました。

毒親からの洗脳

一人暮らししても、絶対に不幸になると言われました。

私が一人暮らしなんて出来るわけがないと言われました。

 

寮は汚いからやめておけと言われました。

親孝行するように言われました。

 

家族のために働くのが当然と言われました。

銀行口座を返して欲しいと何度も言いましたが、返してくれませんでした。断固反対されました。

 

余計なことに使うからやめてほしいと言われました。

私のお金だから、返して欲しいと言いましたが、断固反対されました。

 

母親はお金を手放したくないみたいな感じでした。

私のお金で飯を食い、衣料品を買っていました。

毒親に育てられて苦しんで、なかなか自立できなかった

一人暮らしを反対されて、寮に引っ越しすることを反対されて、何もできませんでした。

しかも、銀行口座を取り上げられているので、何もできませんでした。

 

給料日に5000円とか賞与の日に1万円だけだったら、何もできませんでした。

タバコを吸い、安いお酒を買って、自宅近くの廃工場で真っ暗な中、一人で過ごすことしかできませんでした。

 

友達とも飲みに行くこともできず、会社の人とも飲みに行けず、だんだん孤独になっていきました。

それでも、次の日になったら、会社に行って働くということを繰り返していました。

毒親は脱出を猛反対

一人暮らしを反対されて、寮暮らしを反対されて、銀行口座を取り上げられて何もできませんでした。

母親は私と住むこと以外の選択肢をなくしていくような感じでした。

 

まるで、檻の中に囲われて生きているような感じでした。

私もだんだん生きる意味を失っていき、働く意欲もなくしていきました。

 

働いても、どれだけ会社に貢献しても、得られるお金が月に5000円だけですから、何もやる気がでませんでした。

毒親に育てられた私

母親には友達がいません。

たまに、アルバイトに出て、外食して帰ってくる感じです。

 

母親は体が弱くて病気になりやすい身体でした。

だから、アルバイトに出ても、結局、医療でお金が行くだけなので、働いても仕方ない身体をしています。

 

結婚していた父親は浮気をして、離婚して、浮気相手と結婚していきました。

離婚してから父親と会ったことが何度かあるのですが、母親と離婚した理由は、母親は自分のことしか考えない人だから、嫌になって別れたと言っていました。

 

父親の言っていることがとても心に響きました。

まさに、母親は人の事より自分の事を優先して行動する人なので、人のことはおかまいなしみたいな感じなのです。

 

人の意見には耳を傾けず、都合の悪いことを言われると無視されるだけです。

そんな母親に育てられました。

毒親と別居したいけどしづらい理由

別居したいものの、一人暮らしするにしても、お金がいります。

寮に入るにしても、寮費、水道光熱費がいります。

 

給料口座を母親に取られているので、何もできませんでした。

また、母親は身体が弱いので、誰かが面倒みないといけないと言うのがありました。

 

父親とは離婚してしまいましたし、私は一人っ子ですし、母親と別居するにしても、母親はどうやって生活したらいいのだろうか・・・。

と、母親の心配もしてしまいます。

 

放っておくことの選択肢が出てきませんでした。

離れたくても離れられない、もうお互いに親子共依存状態に陥っていました。

 

私も親に依存して、母親は私に依存する関係に発展していたのでした。

そうなると、もう、どうしようもありません・・・。

毒親が経済的に自立できていない

そもそも、母親が経済的に自立できないから、私の給料に頼って生きていると言う感じです。

私は何度も思いました。

 

父親さえいてくれたら、私は自由の身だったのにと・・・。

その父親と離婚してしまったのですから、どうしようもありません。

 

父親がいてくれたら、経済的に自立と言うか、父親、母親の二人暮らしをしてくれて、私は自立して一人暮らしなり、寮暮らしをしていることを想像します。

ですが、父親一人いないだけで、私に父親の穴埋めのための負担が一気に押し寄せてくるような感じになってしまったのです。

 

私としては、父親に戻ってきてほしいとは何度も思ったこともありました。

また、母親には再婚して、どこかに行ってほしいと思ったこともありました。

 

母親は何度か再婚に向けてお見合いしたこともありましたが、お見合い相手の男性と気が合わずに全部破綻してしまっています。

そうなると、私しか母親の面倒を見ることができないというように自然となってしまうのでした。

毒親から脱出した方法

私はすべてにやる気を失ってしまい、会社のストレス診断を受けたら、非常に危険な状態だと言うことが判明しました。

そして、会社の産業医と面談することになりました。

 

会社の産業医からは精神内科を受診するように言われました。

そして、会社近くの精神内科を受診すると、うつ病と診断されました。

 

また、発達障害の疑いもあるとのことで、発達障害の検査を受けたら、アスペルガー症候群と言うことが判明しました。

 

私はうつ病、発達障害の診断を受けてしまいました。

そして、医師から会社は休むように言われて、診断書を書かれました。

 

会社に診断書を提出したら、しばらく休むように指示されました。

そして、傷病手当金を支給されるようになりました。

 

傷病手当金を支給されながら、うつ病の薬物治療をすることにしました。

しかし、段々症状が悪化してきました。

 

なんだか、生きているのが苦しくなってきてしまい、死を意識するようになってきてしまいました。

医師に何度も薬を変えてもらうのですが、全然ダメでした。

 

また、眠りも非常に浅いことが原因になっていたようです。

そのようなうつ病の症状が続くようになってしまい、結果的に自己都合退職になってしまいました。

 

その後、傷病手当金の支給期限が過ぎてしまい、カードローンでお金を借りて生活するようになりました。

その後、何枚かのカードローンの借り入れ上限額に達してしまい、持ち家のお金が支払えなくなり、カードローンのお金が支払えなくなりました。

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また、税金も滞納するようになりました。

知り合いに相談すると弁護士を紹介されて、弁護士に状況を説明すると、生活保護を受けるように言われました。

 

役所の生活保護に事情を説明すると、世帯分離して生活保護を受けるように言われました。

世帯分離とは母親と住まいを別にして生活するように言われました。まさに、突然の事です。

友達、知り合い、親戚、専門家に頼った

知り合いに弁護士を紹介してもらいました。

親戚に不動産屋さんを紹介してもらいました。

 

そのようにして専門家に頼るようになりました。

友達には相談しましたが、特にこれと言った情報は得られませんでした。

 

弁護士に自己破産するように言われました。

不動産屋さんには、生活保護に理解のある大家さんが所有しているアパートを紹介してくれました。

 

そのようにして、専門家に頼ることで、話がトントン拍子に進んでいきました。

専門家に頼ったことで、母親も、動かざるを得ないという感じでした。

離れて暮らす準備はなく、ある日突然だった

弁護士に相談して、役所に相談して、生活保護を受けて自己破産しないといけない状態になったことを母親に伝えると、母親は唖然としていました。

そして、従兄弟にお願いして不動産屋さんを紹介してもらいました。

 

そして、生活保護を受けれる物件を紹介してもらい、突然の一人暮らしが始まりました。

大家さんは、生活保護のお金が入ってから、家賃を支払ってくれたらいいからと、生活保護について理解してくれました。

 

なけなしの衣類と布団をアパートに移動させて、一人暮らし生活がスタートしました。

しかも、無職、うつ病、発達障害である状態でです。一人で食事、掃除、洗濯をすること自体初めてでした。

親元を離れていたも毒親に苦しみ続けた

母親から離れて一人暮らしを続けたものの、母親からは、毎日のように電話やメールが来る日々でした。

私は電話は出たくない日は電話に出ませんでした。

 

40代まで母親と一緒に過ごしてきたので、一人暮らしの意欲がなく、なんだかツライ状況が続きました。

 

生活保護の審査は通りました。

引っ越しして数ヵ月後、自己破産の申請をしました。

 

そして、生活保護を受けながら、自己破産すると言うツライ状況を味わいました。

しかも、うつ病、障害者手帳を取得するように言われて、精神障害者2級になりました。

 

うつ病の苦しさは母親がいた時とあまり変わらない状態が続きました。

薬を飲まないと死ぬ意識が強くなってきてしまうのです。生きる気力がない状態が続いてしまうのです。

毒親と離れて、新しい人生がスタートした

念願の一人暮らしがスタートしたものの、決して満足できる状態ではありませんでした。

もう、うつ病になってしまい、発達障害になってしまい、精神障害者手帳2級になってしまい、そのような状況での生活がスタートしました。

 

食事する気力なし。掃除する気力なし。洗濯する気力なし。お風呂に入る気力なし。みたいな状況が続きました。精

神内科の担当医に相談するとヘルパーを頼るように言われました。

 

役所に相談すると、ヘルパーを活用するための紹介をしてくれました。

そして、1週間に1回だけヘルパーが来て、食事、掃除をしてくれることになりました。

 

洗濯は自分でするように言われて、自分でするようになりました。

連絡手段はメールだけにした。だいたい無視した

母親から毎日のように連絡きましたが、メールだけ無視しました。

電話は出るようにしました。メールは愚痴のようなメールが多かったです。

 

私はうつ病になって自己破産の真っ最中なのに、それでも、追い打ちをかけるように連絡が来ます。

ですが、メールだけは一貫して無視しました。それでも、支障はなかったように感じます。

物理的、心理的に距離をとったら、毒親との関係がちょっとだけ緩和した

一人暮らしをしている間は、母親の態度、ちょっとだけ変わったような気がしました。

なんか、不自然に、あいさつしてくるようになりましたし。母親と同居していたころは、あいさつなし、お礼の言葉なし、ねぎらいの言葉なし、完全に犬扱いでした。動物扱いでした。奴隷扱いでした。

 

それが、はじめて人間扱いされたような感じでした。

早く自分の元に戻ってきてほしいから、急に優しくなったものかと思われます。

毒親と縁を切る必要はない

毒親と縁を切る必要があるのかと言われたら、切らないといけないことはないと思います。

たしかに、人間扱いされないし、いつまでも子ども扱いされてしまっています。

 

給料振り込みの銀行口座を取られたり、うつ病になったり、発達障害になってしまったり、生活保護を受けるようになってしまったり、自己破産するようになってしまったり、いろいろ、苦しい目にあわされてきましたが、受けないといけない人生の試練なのかなと感じてしまうこともあり、たとえ毒親であっても、縁を切ってしまったら、二度と親孝行が出来ないと感じますので、縁を切る事はできません。

 

「孝行したいときに親はなし」ということわざがあります。

親と離れるきっかけは、いつでも、作れると思います。

 

ですが、毒親と縁まで切る必要はないと思います。

毒親から生まれたとはいえ、親は親ですから、切っても切れない関係だと私は思います。

まとめ

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小学生時代に両親が離婚してから、成績が急降下しました。

その後の、高校受験に大きく影響しました。

 

専門学校で簿記の資格を取得しました。

しかし、中小企業だったせいか簿記の資格をほとんど活かすことができませんでした。

 

給料口座を母親に取り上げられました。

一人暮らしは断固反対されました。

 

40代になってから、精神内科に通院すると、うつ病、発達障害と診断されてしまいました。

のちに会社を退職することになりました。

 

傷病手当金が支給されていましたが、満了後、カードローンでお金を借りて生活を続けていました。

しかし、すべてのカードが上限額になってしまい、住宅ローン、カードローンが支払えなくなってしまいました。

 

知り合いに相談すると弁護士に相談するように言われました。

弁護士に相談すると生活保護を受けるように言われました。

 

役所に相談すると世帯分離して生活保護を受けるように言われました。

世帯分離のため、強制的に一人暮らしをすることになりました。

 

その後、自己破産しました。

一人暮らしになってから、母親の態度はだんだん変わってきました。今まで、奴隷扱いだったのが人間扱いされるようになりました。

 

母親と縁を切ることを何度か考えましたが、孝行したいときに親はなしと言う状態になりたくなかったので、母親とは縁を切らずに、距離を置いて、親子関係を続けました。

 

自己破産は終わり、持ち家は競売で競落されました。住宅ローン、カードローンの借金はなくなりました。税金の借金だけ残りました。

 

その後、障害年金を受けることになったため、生活保護は廃止になりました。

障害年金が支給されるようになってから、一人暮らし生活をやめて、再び母親と同居することになりました。

 

現在は、私の障害年金と母親の年金でなんとか生活を続けています。

うつ病の治療は今もなお続けています。ちなみに親戚からは母親(毒親)と離れて生活した方がいいと何度も言われています。

 

母親(毒親)と一緒に住んでいたらいつまで経っても、うつ病は治らないと言われています。

 

ですが、引っ越しして一人暮らしする自信がなくなってしまい、今もなお、一緒に住み続けています。

私個人的には母親と縁を切る必要はないと思います。

 

孝行したいときに親なしと言う状態になって人生後悔したくないと思っているからです。

また、母親は、子どもがどんな年齢になっても、子ども扱いするものだと聞いたことがあります。

 

だから、子ども扱いされてしまうのは、親子関係で一緒に住んでいるうえでは仕方ないと割り切っています。

苦しい日もありますが、そうしたときは、なるべく、散歩したり、近くのファーストフード店でコーヒーを飲みながら気分転換をするようにしています。

 

精神内科からは数種類の薬が出ており、睡眠薬も含まれています。

毎日飲んで、なんとか死にたいと言う衝動を押さえながら生活を続けています。

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この記事を書いた人

岡星 陽士

うつ病、自己破産者、40代、無職、彼女いない歴20年、独身、未婚ブロガー

岡星 陽士

岡星 陽士(おかぼし はると)と申します。現在、40代、うつ病、自己破産者、無職、彼女いない歴20年、独身、未婚のブログを書く人です。メンヘラの母親と同居しています。自分の今までの人生を書いていこうと思います。

詳しいプロフィール

 プロフィール

岡星 陽士

うつ病、自己破産者、40代、無職、彼女いない歴20年、独身、未婚ブロガー

岡星 陽士

岡星 陽士(おかぼし はると)と申します。現在、40代、うつ病、自己破産者、無職、彼女いない歴20年、独身、未婚のブログを書く人です。メンヘラの母親と同居しています。自分の今までの人生を書いていこうと思います。

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