毒親と住んで離れてられない体験をまじえて書きます
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毒親と離れられない運命です。私は一人っ子です。両親は私が小学生の時に離婚しました。父親は浮気相手と再婚しました。
母親は再婚話は合ったものの、全然合う男性がいなかったのか、再婚できず、今も母親と二人暮らしを続けています。私は正社員を退職して、無職になるようになってから、住宅ローン、カードローンが滞納するようになりました。
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毒親に育てられましたから現在を体験を交えて書きます
自己破産
その間に正社員、派遣社員、アルバイト、無職を転々としていました。
そして、そのようなことを繰り返しているうちに、カードローン、税金滞納するようになってしまいました。
弁護士に相談すると生活保護を受けるように言われました。
役所に行くと世帯分離したら生活保護を受けることができると言われました。
そして、役所の言う通り世帯分離するために、一人暮らしすることになりました。
ただし役所からは借金は自己破産で片付けるように言われました。
弁護士は法テラスから紹介された弁護士です。
今までお金に困っていた経緯やカードローンを使っていたこと、税金滞納したことなど、すべてを吐き出しました。
弁護士と面談してから3ヵ月後くらいに自己破産申立てとなりました。
そして、持ち家に残っている母親には、出ていってもらい、賃貸を借りるように、うながしました。
母親からは、不満の声だけ言われるだけでしたが、弁護士から自宅を空けるように言われたから引っ越ししてほしいと言って、渋々了承してくれました。
そして、賃貸が決まって母親は持ち家から引っ越しすることになりました。
生活保護は廃止
その数ヵ月後、持ち家は競売になりました。
競売になって入札が入ったので、無事に売れました。その後、自己破産は終わりました。
淡々と書きましたが、自己破産にはとても神経を使いました。
毒親と離れて一時的に生活保護を受けながら一人暮らししていましたが、うつ病を発症していたので、ヘルパーにきてもらって生活を続けていました。
役所から障害年金を受けるように言われ、かかりつけの精神内科の担当医に診断書を書いてもらい、自分でも経過の書類を書いて年金事務所に提出しました。
すると、3、4か月くらい経ってから数百万円が振り込まれました。
その数百万円はすべて生活保護に没収されました。
その後、母親が生活やっていけないということで、私は母親と再び同居することになりました。
母親と同居したと同時に生活保護は廃止になりました。
そして、今は私の障害年金と母親の年金を合わせて生活を続けています。
毒親とは離れて生活するということが困難
毒親と離れて生活したのはわずか、1年くらいです。自己破産のために一時的に別居しただけみたいな感じでした。
持ち家の名義が私でしたし、カードローンの名義など全部私でしたので、自己破産の処理は全部私がすることになりました。
母親は見て見ぬふりみたいな感じでした。
このような感じで、毒親である母親とは離れたくても離れられないと言う人生を送っています。
自立したいのですが、うつ病を発症していて、精神内科からは労務してはいけないと言う診断になっていて、障害者手帳を持つことになってしまい、精神障害者として生活しています。
毎日、起きるのが、億劫で、朝ごはんを食べたら、布団に入り、昼ご飯を食べたら布団に入り、夕ご飯を食べたら布団に入りの繰り返しです。
朝、昼、夜、と精神内科から処方された薬を飲んでなんとか生きているって感じです。
そのような状況なので、毒親とは離れて生活するということが困難になってしまいました。