毒親と共に生きる現実:逃れられない人生の選択肢

プロフィール紹介:はじめまして、昭和生まれの大福、40代です。
人生の中で様々な困難を経験してきましたが、それでも少しずつ前向きに生き直すための道を模索しています。
このブログでは、私の体験を通じて、同じような苦しみや葛藤を抱える方々に、少しでも勇気や希望を感じてもらえるようなコンテンツを提供したいと思っています。
どん底にあっても、必ず再出発のチャンスがある。その道標を一緒に見つけていきましょう。
毒親と共に暮らすという運命
私は一人っ子で、幼少期に両親が離婚しました。
父親はすぐに再婚し、私は母親と二人で生活することになりました。母は再婚の機会があったものの、なかなか縁がなく、最終的には私と二人暮らしが続きました。
時が経つにつれて、私の生活は一変しました。
正社員として働いていたものの、度重なるストレスや職場のパワハラに耐えきれず、退職。
そして、無職のまま、住宅ローンやカードローンの支払いが滞り、経済的に追い詰められました。
自己破産への道
その後、派遣社員やアルバイトを転々としながら、何とか生活を維持していましたが、カードローンや税金の滞納が重なり、最終的には弁護士に相談することになりました。
弁護士からは「生活保護を受けるべきだ」と言われ、役所でも同様のアドバイスを受けました。
そして、役所の助言に従い、世帯分離をすることで生活保護の申請が認められ、一人暮らしを始めました。
しかし、役所からは同時に「自己破産手続きを進めるべきだ」との指導もありました。
弁護士のサポートを受け、3ヶ月後には自己破産を申請し、私名義の持ち家は競売にかけられました。
毒親と一時的な別居、そして再びの同居
自己破産の手続きが進む中で、母には別の賃貸物件を探してもらうことにしました。
母は不満を漏らしながらも、最終的には私の要請を受け入れ、引っ越ししてくれました。
しかし、私はその後すぐに、うつ病を発症し、生活保護を受けながらの一人暮らしも難しくなりました。
そして、数ヶ月後に自己破産が完了し、競売で持ち家が売却されたものの、結局母親との同居生活に戻ることになりました。
うつ病の治療を続ける中、母親と再び一緒に暮らすことで生活保護は廃止され、今は母の年金と私の障害年金を合わせて生活しています。
毒親と離れて生きることの難しさ
毒親と離れて生活することが一時的にはできたものの、長期的にはとても困難でした。
自己破産のために別居することはできましたが、それもわずか1年程度のこと。
母親との関係は、常に複雑で、経済的にも精神的にも依存が続いている状況です。
自己破産の名義やカードローンの責任はすべて私にあり、母親はそれを見て見ぬふりをしているかのようでした。
私は「母親から離れたい」と思いながらも、病気の影響で自立が難しくなり、再び母との同居生活を余儀なくされました。
うつ病と共に生きる日々
現在、私は精神科からの診断で「労務不可」とされ、障害者手帳を取得しています。
うつ病の症状がひどく、朝起きるのもつらい日々が続いています。
朝食をとるとすぐに布団に戻り、昼食を食べてはまた布団へ…
といった繰り返しの毎日です。
処方された薬を飲みながら何とか日々を乗り越えていますが、毒親と離れて生活するということは現実的にとても難しいのです。
まとめ
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このように、私は毒親と共に生きるしかない現実に直面しています。
うつ病や経済的な困難から、自立する道は遠のいていますが、それでも少しずつ、自分のペースで生き直すための努力を続けています。
同じように苦しむ人たちにも、私の体験が少しでも役立てばと思い、このブログを通じて発信していきます。
私のように、毒親との関係や経済的な問題で悩む方々が、少しでも「自分だけじゃない」と感じ、前を向くきっかけになれば幸いです。