毒親に育てられた私が末路について体験を交えて書きます
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私が小学生の時、両親が離婚しました。父親は浮気相手と再婚するために出ていきました。
私は一人っ子なので、母親と二人暮らしになりました。母親は命令ばかりしてきます。ひたすら「勉強しろ!」「勉強しろ!」「勉強しろ!」と言ってくるのです。
母親は過干渉で監視してきて、プライベートも侵害してくる
私は両親が離婚したことと、父親が浮気していたことによるショックで勉強する気力を失いました。
友達と遊ぶ気力を失いました。それに構わず母親は、ひたすら「勉強しろ!」「勉強しろ!」「勉強しろ!」と言ってくるのです。
また、母親は過干渉で監視してきて、プライベートも侵害してくるのです。
私からしたら、母親と言うより毒親でした。
持ち家は競売
そんな毒親の末路は結局、因果応報として返ってくるのでしょうか。
私は自己破産することになりました。持ち家は競売になりました。持ち家は競売になりました。
持ち家が競売になったので、私も母親も出ていくことになりました。
まず、私から出ていき、数ヵ月後に母親が出ていきました。それぞれ、一人暮らしになりました。
カードローンの使い過ぎにより弁護士から自己破産するように言われたことがきっかけで自己破産したのです。私はうつ病で無職になってしまい無収入になりました。
自己破産
母親は年金暮らしでした。母親の年金は非常に少ないので、まったく返済の当てはありませんでした。
私は弁護士に相談すると生活を続けるために生活保護を受けるように言われました。
役所に相談したら、母親とは一緒にすまず世帯分離したら生活保護が申請できることを教えられました。
一人暮らししてから生活保護を申請して通りました。
その後、弁護士に相談したら自己破産するように言われて、申立てしました。
一人暮らしで自立できるまでに回復したい
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毒親は因果応報だと感じることを体験を交えて書きます
翌年に、競売物件である持ち家は競落になり、自己破産は終わりました。
毒親の末路は一人暮らしを続けることになりました。
ただ、私自身、うつ病で食事、掃除、洗濯ができない状態が続いており、仕方なく母親と同居することになりました。今では結局、毒親と二人暮らしになってしまい、今も過干渉、監視、プライベート侵害を受け続けて生きている状態です。
毒親の末路は結局、私をうつ病にしてしまい、無職にしてしまったことです。
私は障害年金を申請して審査が通りましたので、生活保護は廃止になりました。
現在は、私の障害年金と母親の年金で暮らしています。一人暮らしで自立できるまでに回復したいです。