毒親とのお金の葛藤―私が学んだお金と心の距離
「どん底から見える、明日への道標」―再出発と回復に向けた歩み
親子関係が「お金」を通じて崩れることは、想像以上に心に影響を与えます。
特に、毒親と呼ばれる存在は、お金を通じて自分の思い通りにコントロールしようとします。
この記事では、私が実際に経験している母親とのお金の問題について、共有したいと思います。
同じような状況に悩む方の参考になれば幸いです。
目次
母親にお金を貸しても、戻ってこない現実
私の母親は、定期的に「お金を貸して」と頼んできます。
私もわかっているんです、そのお金は絶対に戻ってこないということを。
でも、それでも貸してしまう自分がいます。
貸してくれと言われた時点で、そのお金が戻らないことはわかっているのですが、断ることができません。
そして、返してほしいと頼むと「あなたを育てるのに、どれだけお金を使ったと思っているの!」と逆ギレされます。
こんなやりとりを何度繰り返してきたかわかりません。
新しいものは母親だけ―「もったいない」のすり替え
母親はお金の使い方が非常に身勝手です。
賭け事に使っているわけではありませんが、自分のためには新しい服や靴を頻繁に買います。
それにもかかわらず、私が新しい服や靴を買うと「もったいない!」と必ず文句を言われるのです。
私がなぜ服や靴を買うことが非難されるのか、理解に苦しむばかりです。
母親は何でも新しいものを手に入れるのに、私が同じことをしようとすると「贅沢だ」と怒られる。
こんな不公平な状況に、常に疑問を感じてきました。
母親にお金を貸しても、感謝されない
家には靴箱があるのですが、その中の9割は母親の靴で埋め尽くされています。
私の靴はと言えば、ボロボロのスニーカーだけ。
それでも母親は、新しい靴を買ってこいと言うことは一度もありません。
それだけではありません。
私が何かちょっとしたものを買うだけで「もったいない!」と非難されます。
例えば、カフェでコーヒーを飲んできたと言うと、「家で飲めばいいじゃないか!」と怒られる始末。
カフェのコーヒーなんて安いです。
下手したら缶コーヒーより安いのに、それでも文句を言われるのです。
母親にお金を貸しても返ってくることはなく、私が自分のお金を使うことを嫌がられる。
本当に息苦しい生活です。
生きる気力を奪われて
このような状況が続く中で、私の気力はどんどん削られていきました。
母親はお金に困っているのに、それを恥じることもなく、私に頼ってきます。
それが続く中で、私の心は疲弊し、ついにうつ病を発症しました。
今では2週間に1回、精神科に通院しています。
母親からは「薬なんか飲むな!」とか「お前はうつ病なんかじゃない」と否定されるばかりですが、私にはもう薬がないと生きていけない状態です。
精神科の診察代や薬代は、自立支援医療のおかげで負担が軽くなっていますが、それでもうつ病で生き続けることは、私にとって大きな負担です。
母親は薬を飲んでいる私を見て、さらに否定的な態度を取ります。
そんな中で「働け」「残業しろ」と言われる度に、生きるのがますます嫌になってしまいます。
母親の言動に縛られた生活
結局、私は母親によって引きこもり状態に追い込まれました。
お金の問題はもちろん、母親の無理難題にも付き合わなければならない。
そんな生活がいつまでも続くのかと思うと、先が見えずに不安ばかりが募ります。
結論―自分自身を守るために
▼関連記事▼
毒親育ちからの再出発:うつ病と発達障害と向き合う日々
この記事を読んでいる方の中にも、私と同じような状況にいる方がいるかもしれません。
そんな方に伝えたいのは、自分を守ることの大切さです。
私は、何度も母親との関係に苦しみ、今でも解決策を見出せずにいますが、それでも少しずつ自分のペースで前を向いて進もうとしています。
お金の問題や親との関係に悩む方は、ぜひ自分を大切にし、無理をしないでください。
自分自身を犠牲にしてまで、他人に合わせる必要はないのです。
少しずつ、ですが、必ず道は開けてくると信じています。
このブログでは、私自身の体験談を通じて、同じような困難を抱える方々に少しでも力になれることを目指しています。
毒親との葛藤や、うつ病との闘いに悩む方々が「自分だけではない」と感じ、前向きに歩んでいけるような場を提供したいと考えています。