人生の壁にぶつかったとき、どう立ち上がるか ~毒親との関係を乗り越えた私の体験~
人生において、私たちは時に大きな壁に直面します。
その壁が、親との関係や自分自身のメンタルヘルスに関わるものであれば、一層深い苦悩を感じるかもしれません。
しかし、私はその中で「再び生き直す」という選択をしました。
この記事では、私の経験を通して、同じように苦しんでいる方々が少しでも前向きになれるよう、私が辿ってきた道のりをお話しします。
目次
小学生から見えてきた「生きづらさ」
幼少期に両親が離婚し、母と二人きりの生活が始まりました。
私の生きづらさは、この頃から徐々に表れ始めたように感じます。
成績は振るわず、勉強にも興味が持てず、家庭教師にも見放される日々。
私は何度も「自分は何のために生きているのだろう?」と自問しました。
特に小学校時代には、生きる気力を失い、壁に頭をぶつけることもありました。
振り返れば、幼い私にとって、その行動は無意識に自分の存在意義を求める叫びだったのかもしれません。
成長の中で感じた親の重圧
中学生、高校生時代も、親の期待に応えることができず、私の成績は伸び悩んでいました。
高校では簿記に興味を持ち、簿記2級を取得することに成功しましたが、それでも母親の過干渉や厳しい言葉は続きました。
特に忘れられないのは、私がアルバイトで稼いだお金で購入したテレビゲームを、母親が窓から投げ捨てた出来事。
雨に濡れてしまい壊れるかと思いましたが、幸いにも動作には問題ありませんでした。
しかし、その瞬間の私の心は壊れていました。
自分の楽しみや選択を否定され続ける日々は、深い孤独感と挫折感をもたらしました。
社会人としての試練と逃げ道
20代で社会人としての生活が始まりますが、職場でも上司や同僚からのパワハラに耐え切れず、最終的に退職しました。
その後、派遣社員やアルバイトを転々とする日々が続きました。
どんなに努力しても、家庭でも職場でも自分の居場所を感じられない。その繰り返しでした。
しかし、それでも私には逃げずに再挑戦する力が残っていました。
転職を経て、正社員になることができましたが、またもや心の壁にぶつかることに。
結果、うつ病と診断され、働くことができなくなってしまいました。
「毒親」との関係を見つめ直す
私が「毒親」という言葉を知ったのは、うつ病を患ってからのことでした。
それまで私は、自分の苦しみの原因が母親との関係にあることに気づいていませんでした。
母親は私が病気になったことについて何も責任を感じることはなく、逆に「もっと頑張れ」と言い続けました。
しかし、ここで私が学んだのは、「親を変えることはできなくても、自分の人生を選び直すことはできる」ということです。
私は、母親との関係を見つめ直し、距離を置くことを選択しました。
もちろん簡単ではありませんが、この選択が私の心を少しずつ軽くし、再び前を向くための一歩となりました。
自分の人生を取り戻すために
今では、私はうつ病を治療しながら新しい人生を歩もうとしています。
過去の経験は私を深く傷つけましたが、その一方で、私に強さと学びを与えてくれました。
これからも、自分自身のペースで少しずつ歩んでいきたいと考えています。
もし、この記事を読んでいるあなたが同じような状況にあるなら、私は伝えたいです。
「あなたは一人ではない」と。
親との関係に苦しんでいる人、うつ病に悩んでいる人、仕事や人生の壁にぶつかっている人が、この記事を通して少しでも前向きになれることを願っています。
最後に:新しい道を探し続ける
人生には、多くの試練があります。
しかし、どんなに困難な状況にあっても、私たちは再び立ち上がることができます。
私のブログは、その経験を通じて同じように苦しむ方々に「明日への道標」を示す場所でありたいと思っています。
共に前を向いて進んでいきましょう。
おわりに
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毒親育ちからの再出発:うつ病と発達障害と向き合う日々
私は、このブログを通じて、同じような苦しみを持つ方々に共感し、励まし合える場を作りたいと願っています。
この記事があなたに少しでも力を与えることができれば幸いです。
読んでくださり、ありがとうございました。