毒親との戦いと私の再出発
はじめに:苦しみから学んだこと
人生の中で、親との関係が原因で大きな苦しみを感じることがある方もいるでしょう。
私もその一人です。
今回は、毒親と呼ばれる母親との経験を交えながら、対処法や、そこから得た教訓についてお話しします。
この記事が、同じような悩みを抱えている方の励みになれば幸いです。
目次
子供時代に受けた影響:命令ばかりの母親
幼少期から両親の離婚を経験し、父親は家を去り、私は母親と二人で暮らしていました。
しかし、母親は私に対して命令ばかりする人でした。
「ああしなさい」「こうしなさい」と、私が学校でどんな楽しいことがあったのかを話したいだけなのに、母親は全く耳を貸してくれませんでした。
子供ながらに「親の頭はおかしいのではないか」と感じることも多く、どうやって対処すべきなのか悩みました。
何をしても無駄だと感じることが多く、母親の指示に従うしかない毎日が続きました。
絶え間ない「勉強しろ」のプレッシャー
母親からの命令の中で最も強烈だったのが、「勉強しろ」という言葉でした。
それは、ただ勉強を勧めるのではなく、執拗なまでに繰り返されました。
しかし、母親には私に勉強を教える能力がなかったため、ただ命令だけが繰り返される状況でした。
両親の離婚に加え、学校の成績も急降下。次第にやる気を失い、勉強はもちろん、友達と遊ぶことすら億劫になってしまいました。
私の心には「どうして自分だけがこんな状況に置かれているのだろう?」という疑問が募るばかりでした。
母親に給料を取り上げられた経験
社会人になっても状況は変わりませんでした。
最初の給料が振り込まれると、母親はその口座を取り上げ、私には5000円だけ渡されるようになりました。
月に5000円で生活するのは不可能でしたが、母親に何を言っても聞き入れてもらえませんでした。
この時、私は「もう一人暮らしをするしかない」と考えました。
しかし、母親から独立することは簡単ではありませんでした。
自立しようとしても、経済的にも精神的にも、母親からの支配が強すぎて逃れることができなかったのです。
精神疾患との闘い
その結果、私はうつ病と診断されました。
長年にわたるストレスの積み重ねが、精神的に私を追い詰めていたのです。
会社のストレス診断をきっかけに、産業医から精神科を受診するよう勧められ、診察の結果、うつ病とアスペルガー症候群の診断を受けました。
その後、会社からの退職勧告を受け、私は自らの健康を第一に考え退職することに決めました。
そこから、障害年金の受給が始まり、少しずつ生活を立て直そうとしていますが、完全な回復にはまだ時間がかかりそうです。
毒親との関係をどう乗り越えるか
現在も母親との関係は完全には改善していません。
しかし、私自身が学んだことがあります。
それは「自分の心を守ることが最優先」ということです。
どんなに難しい状況であっても、まずは自分自身を大切にし、自分のペースで生きていくことが重要です。
母親との関係を断ち切ることは、今でも難しいと感じていますが、それでも自分自身の未来に目を向け、一歩一歩進むことを諦めません。
これからも、毒親との共生に苦しむ方々と共に、その道を模索していきたいと思います。
結論:自分の未来を取り戻すために
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毒親との同居40年を乗り越えて—再出発のために学んだこと
毒親との関係に苦しんでいる方は、少なからずいるはずです。
私の経験が、そんな方々に少しでも力を与えられるなら、それが私の願いです。
私自身もまだ道半ばですが、自分のペースで回復し、新しい人生を歩んでいく決意をしています。
毒親との関係に対する対処法は簡単ではありませんが、まずは自分自身の心を守り、少しずつでも前に進むことが大切です。共に、この厳しい状況を乗り越えていきましょう。
この記事では、私自身の経験を基に毒親との関係について考察し、その対処法や教訓を紹介しました。
毒親との関係に悩んでいる方々にとって、この記事が少しでも希望や励ましになれば幸いです。