毒親によるストレスと向き合った私の経験
「毒親」という言葉を聞くと、多くの人が不安や苦しみを思い浮かべるかもしれません。
家庭という本来安らぎを感じるべき場所で、逆に大きなストレスを抱えてしまう経験は決して少なくありません。
この記事では、私が経験した母親との過干渉な関係や、それがどのように私の心に影響を与えたかを詳しくお話しします。
同じような苦しみを抱える方々に向けて、少しでも共感し、勇気を持ってもらえる内容をお届けしたいと思います。
目次
母親の支配と過干渉に悩まされた日々
私がまだ小学生の頃、両親は離婚しました。
父親は別の女性と再婚するために家を出ていきましたが、その結果、母親と私の二人暮らしが始まりました。
私には兄弟姉妹がいないため、母親の存在は家の中で大きなものとなりましたが、それが徐々にストレスの源となるとは、当時は想像もしていませんでした。
命令される日々の連続
母親は常に私に命令をしてきました。
「あれをしなさい」
「これをやりなさい」
そのたびに、自分の自由が奪われていくような感覚を覚えました。
学校での話をしたいだけなのに、いつも母親の指示が返ってくる。
成績の話や友達のこと、どんな話題でも母親は自分の意見を押し付けてくるのです。
それが徐々に、私にとっての「普通」になり、無意識のうちに大きなストレスとなっていきました。
母親によるプライベートの侵害
私の母親は、過干渉が極端でした。
例えば、私が自分の部屋でくつろいでいる時も、ノックなしで部屋に入ってきて、用事が済んだらドアを開けたまま出ていくことが日常茶飯事でした。
「ドアを閉めてほしい」と言うと、「ドアがうっとうしいから」と返される。
これにより、私は常に監視されているような気分になり、次第に自分の居場所が家の中にないように感じるようになりました。
プライバシーの侵害は、他にもトイレに行くたびに「大をするのか、小をするのか?」と尋ねられるなど、耐えがたいものがありました。
母親による経済的支配
社会人になり、やっと自立した生活を送りたいと思っていた私にとって、一人暮らしは大きな目標でした。
しかし、母親はそれを強く反対し、会社からの給料が振り込まれる口座さえも母親が管理していました。
これにより、私は自由に使えるお金がなく、何をするにも母親の許可が必要な状態が続きました。
会社の付き合いでさえも、母親の干渉がありました。
飲み会や仕事の付き合いに参加したい時も、何度も電話がかかってきて「早く帰ってきなさい」と命令され、次第に誘われることもなくなってしまいました。
ストレスによる心身の悪影響
母親の過干渉は日常生活だけでなく、精神的にも大きな負担となっていました。
昼食には毎日母親の手作り弁当を持たされ、周りの同僚がコンビニや外食を楽しんでいる中で、自分だけが管理されているような気持ちに苛まれていました。
そのストレスが限界に達したのは、数年後のことです。
結局、私は精神科を訪れることになり、うつ病と診断されました。
母親からの過干渉や命令により、心が疲れ果ててしまったのです。
親子共依存と毒親からの解放を目指して
今振り返ると、私は「親子共依存」と呼ばれる状態に陥っていたのかもしれません。
母親は私に依存し、私はその過干渉に耐えながらも、そこから逃げ出せずにいました。
現在は、会社を辞め、障害年金を受け取りながら、月に二度、精神科に通院する生活を送っています。
母親との関係は今も続いていますが、少しずつ自分自身のための時間を作り、精神的な回復を目指している最中です。
まとめ 毒親からの脱却と新しい人生への挑戦
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毒親との同居40年を乗り越えて—再出発のために学んだこと
うつ病と診断されて会社から休むように指示されるようになって、その時間を使って、インターネットで毒親、親子共依存、アダルトチルドレンと言うことを知ることになりました。
毒親との関係は、想像以上に人間の心に深い影響を与えます。
ですが、それに気づき、自分の心の回復を目指すことは、新しい人生への一歩です。
同じような経験をしている方々に伝えたいのは、「あなたの人生は、あなた自身が決めていい」ということです。
過去のストレスや苦しみを背負いながらも、一歩一歩前に進むことが、回復への道となります。
私のブログでは、こうした体験を通じて、少しでも同じ悩みを抱える人たちが前向きに考えられるような情報を発信していきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。