母親嫌いな男である私が恋愛について書きます
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母親は嫌いな男は恋愛できないです。私が小学生の時に両親は離婚しました。父親は浮気相手と再婚するために出ていきました。
私は一人っ子なので、母親と二人暮らしになりました。その後、母親は再婚するために、何人かの男性と恋愛して再婚する方向で動いていたことが何度もありましたが、全部破綻してきました。
目次
母親とは年齢が10歳以上年上の男性とうまく行けば結婚まで
母親の話を聞いていると、そもそもお金のない男性ばかりと付き合っていたみたいです。
母親が嫌いな男はお金がないことです。だから、恋愛できない状態におちいっていたみたいです。
母親は知り合いにお願いしてお見合い候補を紹介してもらい続けていました。
母親は恋愛で一人だけ1年くらい続いた関係もありました。
相手の男性は定年退職して年金暮らしの男性です。母親とは年齢が10歳以上年上だったみたいです。
母親はその男性とうまく行けば結婚するところまで行きました。
婚姻届けを出してから、わずか1ヵ月で離婚
そして、母親は1年後に婚姻届けを提出して苗字が変わりました。
私は苗字は変わりませんでした。私はあくまでも、最初の父親の苗字のままでいたかったからです。
いよいよ母親と結婚した男性と同居ってところで、母親は地元でしか住まないと言うです。
相手の男性も地元でしか住まないというのです。お互い地元合戦が続き、まったく話が折り合わない状態が続きました。そして、婚姻届けを出してから、わずか1ヵ月で離婚してしまったのです。
相手の男性の年金を目当てにしただけでの結婚
お互い、地元を譲り合うことができず、お互い離婚届けを提出して終わりになりました。
母親は地元愛が強過ぎて離れれることがダメだったみたいです。
相手の男性も地元愛が強過ぎて離れることができなかったようです。
お互い譲り合うことができずに、結婚したものの、わずか1ヵ月でのスピード離婚をしてしまったのです。
母親が嫌いな男だったのです。相手の男性の素性を調べることもせず、ただ、相手の男性の年金を目当てにしただけでの結婚をして、結局、お互いに地元から離れることを譲り合うことができずに離婚してしまったという、どうしようもない展開になりました。
母親には地元から離れて相手の男性と結婚してほしかった
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母親は恋愛が苦手なようです。お金にしか目にいかないようなのです。
結局、母親は苗字が戻って、今もなお私は母親と二人暮らしが続いています。
もし、母親が相手の男性と結婚するとなったら、私は一人暮らしになる予定でした。
相手の男性は3人暮らしを望んでいたわけではなかったようなので。母親も相手の男性と二人暮らしをするつもりだったみたいです。
だから、私にとっては、毒親と離れるチャンスでもありました。
しかし、結婚した1ヵ月後に離婚してしまうと言う最悪のパターンになってしまい、結局、私は毒親と二人暮らしが続行しています。
母親には地元から離れて相手の男性と結婚してほしかったです。
母親は嫌いな男とは恋愛できないと言う、なんだかむなしいお話でした。