母との共依存を超えて:自立への道
人生は時に私たちを予想もしなかった場所に連れて行きます。
特に家族との関係がその道のりを大きく左右することも少なくありません。
今回は、私が母との共依存関係をどうやって乗り越えようとしているのか、またその経験から学んだことをお話しします。
親子の関係に悩んでいる方や、自立を目指している方が共感し、前向きな一歩を踏み出せるような記事にしたいと思います。
母親の支配下で生きた私の体験
私は幼い頃に両親が離婚し、母親と二人暮らしを始めました。
その後、私は自分の意思や感情をうまく表現できないまま、母親の指示に従う生活が続きました。
母親は常に「こうしなさい」「ああしなさい」と命令を繰り返し、私の意見を聞くことはほとんどありませんでした。
振り返ると、私が抱えた生きづらさの根本には、この命令ばかりの関係があったのだと気づきます。
命令が絶えない日々
母親にとって、私の話を聞くというよりも、指示を出すことが大切だったようです。
学校で起こった出来事をただ話したいだけなのに、「ああしなさい」「こうしなさい」と次々に命令されました。
私が「ただ聞いてほしいだけなんだ」と言うと、母親は「命令なんてしていない」と言い張り、私の言葉は無視されました。
このすれ違いが続くたびに、心の中にフラストレーションがたまっていきました。
自立への道を阻む母
私が成長し、一人暮らしをしたいと母に相談したとき、母は断固として反対しました。
「あんたには無理よ」と決めつけ、私の挑戦をことごとく阻止しました。
その理由の一つは、私が自立してしまうと母にお金が入らなくなることを恐れていたからかもしれません。
さらに、母は私の銀行口座を管理し、私が自立するための準備さえも邪魔してきました。
この経験から、自立とは簡単なことではなく、親との関係がそれを大きく左右することを痛感しました。
親子共依存の罠
母の支配から逃れるため、何度も一人暮らしを試みましたが、母の反対や圧力に屈してしまいました。
会社からは寮に住む提案を受けたこともありましたが、母はそれにも反対し、結局私は母と二人暮らしを続けることになりました。
こうして私たちの親子関係は、次第に共依存の形になっていきました。
母は私に依存し、私は母に依存する。
この悪循環が私の自立を妨げ、私自身の精神的な健康にも影響を与えていきました。
共依存を乗り越えるために
私は今、精神障害者として障害年金を受け取りながら、うつ病の治療を続けています。
40代になり、未だに母親との共依存から抜け出すことができず、日々の生活に苦しんでいます。
しかし、今こそこの悪循環を断ち切り、自分の人生を取り戻すために一歩を踏み出すべき時だと強く感じています。
自立への道は簡単ではありませんが、挑戦することに意味があります。
同じ悩みを抱える皆さんへ
もしこの記事を読んでいる方の中に、同じように親との関係に悩んでいる方がいるなら、まずは自分の気持ちを大切にしてください。
親の期待や命令に縛られることなく、自分の人生を生きることができるのです。
今は小さな一歩かもしれませんが、その一歩が未来を変える力になります。
私もまだ道半ばですが、共に歩んでいきましょう。
まとめ
▼関連記事▼
毒親との同居40年を乗り越えて—再出発のために学んだこと
私が母親との共依存関係を経験しながら学んだことは、どんなに難しい状況でも、希望を持ち続けることが大切だということです。
自立の道は決して平坦ではありませんが、私たちは一歩一歩前進する力を持っています。
このブログを通じて、同じような悩みを抱える皆さんに少しでも希望を届けられることを願っています。
私の体験を通じて、少しでも前向きな気持ちになり、未来に希望を持てるような内容をお届けします。