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42歳の障害者年金を受給している精神障害者の私の一日

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精神障害者になってから、かれこれ4年くらいが経過するだろうか。会社で先輩のパワハラの日々を重ねて、実家の母親に人生を振り回されて、どうしようもなくなった。

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人生途方にくれるようになってしまい、会社のストレス診断を受けたら、ストレス濃度が高いと言う診断結果を受けて、産業医の面談となった。産業医の面談を受けて心療内科を受診するようにすすめられた。

心療内科に通院するとうつ病と診断

心療内科に通院するとうつ病と診断されてしまった。うつ病と診断された診断書を会社に送るとしばらく休職するように言われた。

 

3ヵ月ほど薬物療法をしながら休職していたが、うつ病が治ることがなかった。会社にうつ病が治らないことを相談すると一旦退職にしましょうということになって退職となった。

 

退職となって、傷病手当金を1年半年ほど受給していた。1年半の傷病手当金の受給期間が終わってしまってから、無収入になった。住宅ローンが残っていたので、支払うことができなくなってしまった。

お金を借りることができなくなった

住宅ローンの支払ができなくなって、クレジットカードの借り入れで生活を続けるようになった。クレジットカードの借り入れ残高が上限額になってしまい、お金を借りることができなくなってしまい、お金に困るようになってしまった。

 

知り合いに相談すると弁護士に相談するように言われた。弁護士に相談すると生活保護を受けるように言われた。役所に行き住宅ローン等の借金があって生活できないことを相談すると一人暮らしをしてから、生活保護の申請をするように言われた。

 

親戚に相談すると1DKの一人暮らしできる賃貸契約のお金を出してくれた。そして一人暮らしを始めてから再び役所に行くことになり、生活保護の申請をすることになった。

生活保護生活

翌月に生活保護の申請が通った。役所からは、借金は弁護士に依頼するように言われた。弁護士に相談すると自己破産するように言われた。

 

自己破産することになって、様々な書類を書くようになった。自己破産している間、うつ病の薬物療法をしながら、生活保護の受給を受けながら、日々を過ごした。

 

自己破産を申請してちょうど一年後に裁判所から借金返済の免除が決定して借金はなくなった。その後、母親と再び住むことになって、一人暮らしは終了した。

生活保護終了

母親と二人暮らしするようになったことがキッカケて生活保護を受けることがなくなった。その後、うつ病の薬物療法をしながら、ニンテンドースイッチでパソコンを使ってキャプチャーボードを使って、ゲーム配信をする日々になった。

 

YouTubeやオープンレック、ツイッチ等を使ってきたが、どれもぱっとしないので、ツイキャスにたどり着いた。ツイキャスでゲーム配信者としてゲーム配信をすることになった。

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ゲーム配信しているといろんなリスナーとつながるようになったり、時にはディスコで配信外で遊ぶようになったりした。ツイキャスでお茶爆が入るようになり、収益も生まれるようになった。

ストレスになってしまう

ただ、3ヵ月で8万円くらいなので、生活できるほどでもなく、ツイキャスのゲーム配信では、稼ぐことの限界を感じている。ゲーム配信していると、心身の疲労が激しい。

 

特にツイキャスはライブ配信なので、その都度コメントが流れるのを読んで対応しているし、コメントも時には不満のような言葉が流れてくるので、ストレスになってしまうことがある。

 

日中、ゲーム配信をしているので、夜はとても疲れて、ぐっすり寝ている日々である。ただ、仕事をする気力がなく、何もする気力がなく、ゲーム配信することしかやることがない日々を送ってしまい、なんだか毎日、非生産的な毎日を送っている。

 

今では1ヵ月に1回心療内科二通院している。体の首、肩、背中のコリが激しいので、鍼灸院に通院している。

ゲーム配信引退できるならしたい

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ハッキリいって何もやる気がない。ゲーム配信しているが、なんとなくしているだけだし、もう、ゲーム配信引退できるならしたいけど、ゲーム配信をやめてしまったら、まさに何もやることがないので、どうしようもない。

 

42歳で精神障害者で障害年金を受給しながら、なんとなくゲーム配信をしながら、生活しているが、人と会わないし、人と関わらないし、なんだか、毎日冷めた人生を送っている。普通に人と関わる毎日を送りたいけど、毎日、接触している人間は、母親だけである。

 

母親とは別居したくて仕方ない。ハッキリ言って、母親と住んでいること自体がストレスである。父親は私が小学生の時に離婚してしまい、1年前に父親は他界してしまった。

 

父親の他界を聞いたものの、涙一つ出ることはなかった。なんだか、父親の他界はなんとも思い入れのないむなしいものであった。

 

つまらない、くらだらない、毎日を過ごしているが、今後、どの様に生きていったらいいかわからないまま、今もなお、人生をさまよい続けている。

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この記事を書いた人

岡星 陽士

うつ病、自己破産者、40代、無職、彼女いない歴20年、独身、未婚ブロガー

岡星 陽士

岡星 陽士(おかぼし はると)と申します。現在、40代、うつ病、自己破産者、無職、彼女いない歴20年、独身、未婚のブログを書く人です。メンヘラの母親と同居しています。自分の今までの人生を書いていこうと思います。

詳しいプロフィール

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岡星 陽士

うつ病、自己破産者、40代、無職、彼女いない歴20年、独身、未婚ブロガー

岡星 陽士

岡星 陽士(おかぼし はると)と申します。現在、40代、うつ病、自己破産者、無職、彼女いない歴20年、独身、未婚のブログを書く人です。メンヘラの母親と同居しています。自分の今までの人生を書いていこうと思います。

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